Archive for April 2015

01 April

<Natalis Newsより> 「志」への道を

 さあ、4月。新しい世界へ、また一歩を踏み出す季節となりました。日々新たな経験をしている子どもたちにとっても、大きな挑戦の続く、濃密で確かな手応えを感じながら進んでいく、そんな時間が待っていることでしょう。
 ところで、少し前に、(あまり見ることのない)テレビで「志」という言葉を何度か聞き、なんとなく気になっていましたら、NHKの大河ドラマで吉田松陰関連の内容を扱っているとのことで、合点がいったということがありました。
 私事ですが、山口県に生まれたせいか、掛け軸の「松陰先生」に見られて育ち、毎年きれいな海をもとめて萩市の海水浴場まで遠出をするときも、必ず松下村塾に立ち寄って遊んでいました。祖父の説教は必ず「松陰先生」と「志」の話で終わるもので、三つ子の魂に刷り込まれた「志」という言葉は常にどこかから背筋をすっと伸ばさせるような響きをもって問いかけてくるような気がします。その後、松蔭を含む維新の偉人やもっと広くこの国の歴史を学ぶにつけても、「さむらいのこころ」と書いて心が何かを目指すその姿勢をいうこの言葉にこめられた思いこそ、実際に国を動かし時代をつくってきた原動力だと感じるようになりました。
 現代は「夢」の時代です。卒業文集でもスピーチコンテストでも入社式でも皆が夢を語り、夢を持とうと奨励されます。大いに結構なことですが、睡眠中の夢は誰とも共有できないように、個人的な望みという側面があります。個人の自己追求の自由が保障されることが最も大切なことではありますが、私たちの文化が培ってきた「志」には公(おおやけ)への意識が含まれています。戦前のイデオロギー操作によって国家に奉仕するように使われてしまったために避けられる傾向が残っているのかもしれませんが、今なら国や民族を超えた人類や地球への、つまりもっとも広い意味での普遍的なものへの使命感に置き換えて考えられるのではないでしょうか。宗教的な超越者への帰依が殺戮の連鎖を呼び、現代を一気に十字軍の時代に引き戻そうとする今だからこそ、個人の欲望の充足だけでもなく、絶対者にも向かわないで、自分たちを含めた世界への崇高な使命感を自らに問う私たちの「志」の思想が全人類的な価値を持つはずです。
 話が大きくなりすぎてしまいましたが、個人的には、以前この欄でも触れた卒業生や講師として手伝ってくれた若者達の顔を思い出していました。ドラマの中の吉田松陰は塾生の一人ひとりに、「あなたの志は何ですか」と問いかけるでしょう。それは私たち全員への問いかけでもありますが、特に若く柔軟な感性には、ときとして非常に大きな衝撃を生み出すきっかけになることもあります。一朝一夕に成るものではないからこそ、我が子の今日の一歩がやがてどこへつながっていくのか、と思いをめぐらしながらながら「志」につながる話を少しずつ始めてみるのもよいかもしれません。

01:20:22 | natalis | |