Archive for January 2006

04 January

NATALIS NEWS アーカイヴ 第3回


<3>能力開発〜英語・英会話編



  量とスピードが「質」をつくる!


 何事も本当にできるようになるためには、繰り返しの練習が必要だということは、誰でもわかっていることでしょう。それでも「身につけ方」に差があるのはなぜでしょうか。素質や環境を語る前に、また、ヤル気と頑張りといった根性論になる前に、もっとこの「身につけ方」について考えてみる必要がありそうです。
 外国語などの言語習得について研究する応用言語学や認知心理学では、"learning strategy"(=学習方略)という名でこの分野の研究が進んでいて、当学院でも各クラスのレッスンやオリジナル教材にも様々な成果を直接、間接に取り入れています。ご家庭での参考になることは今後もお伝えしていくつもりですが、今回は大局的な考え方として、練習の量と速さについて確認しておきます。何かを身につけるためには、(1)ある一定の量を超える練習が必要。(⇒我が子に必要なその一線を超えなければ意味がない、と考えましょう!) (2)ある速さでできるようになるまで練習させる。習熟の度合いはスピードに現れます。(⇒本人に速さを意識させましょう!練習中の正確さは事柄の内容により85〜95%以上で。)忙しい子どもたちのために、中身の濃いトレーニングができるように、ぜひ名コーチをめざしてください。  (04.1)



  「覚える方法」を覚えよう!


 「覚える」ことの大切さについて再確認しておきたいと思います。
 暗記といえば、よくない勉強方の代表のように言う人もいますが、幼児、小学生の段階では言葉や文を覚えていつでも言えるようにすることこそ、実は最も本質的な学習です。人はどんなことでも真似て覚えて身につけ、その後で自在に応用できるようになるのです。日本語でも英語でも、語学においてはなおさらです。そして、重要なことは、「覚える」ためには練習が必要だと言うことです。頭がいいから覚えられるのではなく、覚える訓練をし覚える力がついているから覚えられるのです。<覚える力を鍛える訓練>と位置づけて、幼児なら単語や定型文レベルを音で、小学生以上なら文レベルを文字も含めて「見ないで言える」ところまで練習をしましょう。
 覚えるコツは、(1)声に出しながら、(2)目を閉じて意識的に思い出せるまで繰り返す、(3)数分〜数日後にも思い出してみる、といったポイントがありますが、自分に合った方法を早く見つけることが大切です。そして、二日後でも意識的に思い出すことができたら、ほぼ大丈夫で、あとは1〜2週間に1回程度の復習(=思い出し)ができれば理想的です。始めは少ない量から、着実に覚えられるようにチャレンジしてみましょう。
 (05.6)



  世界を見ている新しい人たち


 3月のある日、まだ高校1年生くらいの女の子が飛び込んできて「ここで働かせて下さい!」と言った時にはさすがに驚きました。しかし、よく聞いてみると、卒業後にはアメリカの大学に行きたいと思っていて、そのためにインターンシップの実績が必要で、学校の許可もあるとのこと。前から英語スクールに興味があったこともあり、当学院を訪ねてくれたそうです。海外の大学というのは、インターナショナル・スクールに通った経験があり英語もできる彼女にとって、日本の社会やそのまま進級できる有名大学のことも含めて将来を考えた上で、自然に出てきた結論だということです。(ちなみに、自我が確立する時期の数年間を海外で過ごした彼女にとって、たいへんな受験の競争を乗り越えてでも多くの人が入りたがるその高校の雰囲気は「単一の価値に染まった単色のイメージ」で窮屈すぎるとのことでした。)
 突然の訪問ながら礼を失することもなく、まっすぐに自分の思いを伝えられるコミュニケーション力はまぶしいほどで、断る理由はみつかりませんでした。
 なぜ、我が子に英語を学ばせるのか、その先をどう考えていくのか、彼女のような人が近くにもいることは大きな示唆を与えてくれます。  (04.4)



  2ヶ月半で、偏差値50が70に!


 M君は、優秀な学校に通う高校受験生。いつ頃からか英語が苦手になり、3年生の夏前にはテストで平均点がやっとの状態になっていました。大手の個別指導塾などに通っても効果がないとの相談を受け、週2時間で個別に指導することになりました。結果的には、2ヶ月後に受けた2つの公開模試では偏差値60台後半に、その半月後の校内の重要な模試では満点で偏差値72に達しました。なんとか入れればという第一志望校は今ではスベリ止めになり、1、2ランク上が大丈夫そうです。
 なぜこの話をするかと申しますと、日本で英語を学ぶ以上、この受験という壁は避けられませんし、一方で、有名校や大手の塾でも本物の実力をつけられていない現実があるということを知っておいていただきたいからです。私立トップ校の生徒しか入れないことで有名なT会で行き詰まっている生徒も指導していますが、分析してみますと優秀な生徒だけ集めてただ多量の難問で競わせているだけというのが実態です。本当に英文を読むこと、自分で自在に文章を作って書き、話す力を養成することについては、どこでもほとんど実現されていないといっても過言ではありません。そのノウハウがないのです。当学院では、「英会話」と呼ばれるコミュニケーション重視の教え方をしていますが、その先は、高校・大学入試も含め、留学や社会に出てから実際に使うレベルまでを想定して、そのために必要な力を本当に身につけさせようとしています。今在籍していただいている生徒の皆さんは、大いに期待していただいて結構です。そして、幼児さんであっても、将来の、少なくとも中学高校の時期のことまでは一緒に考えてみていただければと思います。ただ外国人講師と楽しく英語に触れたらネイティヴ並の英語が話せるようになるなどと、あいかわらず根拠のない詐欺まがいの誇大広告がまかり通っているなかで、「英語は発音が大事だから」「まあ、英語が好きになってくれれば」「外国人の人を見ても気後れしないようになれば」といった一時のファッションか気休めとしてではなく、本当に目の前の我が子の10年20年後への道すじを考えていただきたいのです。  (05.12)



(番外編) ハロウィーンって?


 ハロウィーンの由来は、今から2000年以上前、中部ヨーロッパからアイルランドにかけての広い地域に住んでいた古代ケルト族の祭祀にさかのぼるといわれます。(彼らはその後ローマ帝国や移動してきたゲルマン民族に追われ、次第に混血化しながらスコットランドやアイルランド、大陸の一部などの狭い地域にその伝統が残るだけになってゆきました。)
 古代ケルト族は独自の宗教を持っており、彼らが秋の終わりに行っていた大規模な秋祭りが、ハロウィーンの第一の起源です。彼らの1年は11月1日に始まるとされ、その前日つまり1年の終わりの日には、地上と霊界の境が開いて死者や祖先の霊と一緒に幽霊や悪霊が蘇ってくるので、それを追払うためにこちらも怖い装束をつけ、かぶらのランプをもって村中を歩き回ったということです。自然の力と先祖の霊に収穫の感謝を捧げ、次の春に新しい命と成長を願う「死と再生の儀式」の一部が伝わっているといえるでしょう。
現在のハロウィーンのお化けのイメージはここから来たもので、子供たちはお化けに扮して、"Trick or Treat!" =お菓子をくれなければひどいことをするぞ、といって歩き回るわけです。この古いお祭りに、キリスト教の全ての聖者の日の前日である10月31日を「All Hallows Eve」として祝ったこと(Halloweenの名の起源。キリスト教は土着の伝統宗教や慣習を自らの祭祀として取り込むことで、広く普及していきました)や、中世キリスト教異端者たちのサバト(異教神や悪魔崇拝の秘密集会、=魔女のイメージとして伝わっています)などが混ざり合って今日のハロウィーンに至っています。  
いずれにしても、思い切り羽目を外すことが許される特別なハレの日として、大人も子どももたいへん楽しみにしているのは、昔からかわらないことでしょう。ぜひご家庭でも楽しんでみてください!


17:44:56 | natalis | |

NATALIS NEWS アーカイヴ 第2回


<2>子育て〜家庭内文化編



    難しい話をしましょう!?


 3歳前後の質問ばかりで困らせられる時期から、小学高学年のお子さんまで、それぞれのレベルにあてはめて考えていただきたいことですが、その子にとって少々難しいことでも、避けたり簡略化せずにしっかり話してあげていただきたいのです。質問されたときだけでなく、食卓で何かが話題になったときなど、大人の語彙も使ってできるだけ正確に解説してあげましょう。
 また、仕事や趣味のようにご家族の方の関心の深い事柄については、ある程度専門的なことまで聞かせてあげたいものです。高学年なら、最新の科学情報から歴史、哲学、経済の仕組み、世界の状況など、書籍、新聞やインターネットなども使えばかなり複雑な話もできますね。大切なのは、その事が理解できたかどうかではなく、普段からの言語環境がどのようなレベルにあるかということです。1回きりでなく「いつも」の平均値の問題です。
 子どもたちは、自らが深くかかわりを持つ周囲の環境から、言語とともに新しい(より高次の)概念や思考の方法を吸収して、少しずつ自分のものにしていきます。幼稚園・学校は一般に言語レベルが学年という枠で制限されており、かかわり合いの深さも家庭には及びません。直接子どもに話しかけているのではない大人同士の会話も含め、ご家庭の言語環境を豊かで高いレベルに維持されることをお願いします。(英語についても、より高い内容に進もうとするときに、母国語による概念構成の力の差が、構文や文法などの理解と吸収に大きく影響してきます。)
 3歳以下のお子さんについては、「今、ここ」の話題で、具体的なやり取りをしながら、できるだけ分かりやすく(繰り返しを多くして)話すのが原則です。   (03.11)




 話し合い、約束し...本気で叱る


 少し前に、教室であるお母様が我が子を真剣に叱っていらっしゃる場面に遭遇しました。多少危険な面もあるいたずらが原因だったでしょうか。両肩を押さえて、まっすぐに目を見つめながら強い声で、しかし感情を含まない冷静な調子でした。印象に残ったのは、最近このようにしっかりと叱られる方が少なくなっているからかと思われます。一人ひとり、ご家庭毎に違うのは承知の上で、あえてみなさんに、「もっと強く、しっかり叱りましょう」とお伝えしたいと思います。ただし、感情的に「もうどうしてそうなの、困るじゃない!」とか「お父さんに言いつけます!」などは悪い叱り方の代表例ですね。言葉はなんとかがまんして選んでいてもその声音に上のような気持ちが響いてしまっていませんか。親も人間ですから時には堪忍袋の緒が切れることもしかたがないことですが、子どもに、自分は否定されている、嫌われていると感じさせないことは注意しておきたいですね。言葉がすべってしまったときは、その場できちんと言い過ぎたことを謝っておきましょう。もちろん、なぜそんなにまで怒ってしまったのか、本人のいけない部分のこともきちんとわからせながら。 
 基本的には、叱る時は客観的に、ほめるときには感情をこめてが原則です。そして、表題の通り、はじめに話し合い、何がいけないのかをよく理解させ、約束に自分から同意させ、その上で、あきらかに約束を破った時には必ず本気で叱る、と手順を踏むことが大事です。いつもお伝えしている「約束を大切にする家庭内文化づくり」が、ここでも大前提です。  (03.10)




  「あの人」まで、10年。


 先日、小5になったばかりの娘さんと話していて、父親のことを「あの人」と言ったので驚いた、という話を聞きました。子どもはものすごいスピードで成長し、一人の独立した人間として立ち上がっていきます。それは、抱きあげられた腕の中でただ泣くことしかできなかった誕生の瞬間から始まり、言語の獲得や反抗期を経て、また、通園、通学など所属する世界の広がりを通じて、目的地である「独立」へとますます加速度を増して進んでいくプロセスです。もちろん、どのような独立の在り方なのかは、成育過程の環境と本人の反応の仕方の積み重ねと、ほんのわずかながら遺伝的な要因とによってかわってくるものですが。
 今の我が子の状態や親と子の関係を、この子ではなく、この「人」が本来の姿になるために何がしてやれるか(または、何をするべきではないか)、という視点から見直してみることも、大切なことです。特に、初めての反抗期で日々「イヤイヤ」と戦っていたり、けじめをつけることを身につけさせる叱り方で悩んでいたり、もっと大きくなっていても自分自身に打ち克って義務を果たすことの重さをなんとかして教えたいと思われているような時には。頭ごなしに指示を与えないとか、まず自分の意見を言わせて話し合うといった注意点もそのような見方から再度考え直してみましょう。
 さて、冒頭の娘さんは、少し前に父親と話したときにうまく自分の考えを伝えられなかったと感じていて、「あの人は〜〜の性格の人だから、今度はもう少し△△な言い方をしてみようと思う」といった文脈でその言葉を使ったとのことでした。まだ10歳。あの赤ちゃんだった頃からわずか10年で、ここまで人は成長することができるのですね、自分と他者の心に対する自然なコミュニケーションの姿勢を磨き続けていければ。  (04.4)



  ひとりの人間として、意見を聞く


 どの年齢のお子さんについても言えることですが、親の側の思いよりも常に一歩先に踏み出して成長して行くのは子どもたちの方です。親の考えは、いつも、<昨日までの>我が子の姿に基づいているのに対して子どもの方はいつも<今日>を走り抜けています。そして、子育ての悩みや問題も、多くはその差異から発生しているようです。
 「目の前にいるのは、一個の独立した人間だ」と、考えて対応するように普段から意識しておくことが大切です。日々変化して新たな面を見せる我が子にどう対処するか迷うような時には、この一点から考え直して見ることが有効です。
 例えば、反抗期だからイヤイヤが出ていると思っていたのに、もっと深い子どもなりの理由があるように感じられたり(例: 扱われ方に対する意味のある異議申し立てだったり)、まだ低学年だからと思っていたのに、実は受験などの進路と自分の時間の使い方についてのしっかりした方針を持っていたり、といったようなことがあります。このようなときには、、具体的には『自分の意見を言わせ、真摯に聞いてから対等に話し合う』姿勢、言い換えれば、一人の人間として尊重していることを示す態度で臨むことです。「この子は、…」を「このは、…」と考えるところから始めてみましょう。   (05.2)



  体験からことばへ


 夏休みに入り、旅行や里帰りをはじめ、ご家庭でさまざまな行事を予定されていることと思います。計画段階から、子どもたちを参加させて、主体性や計画性を持たせることの大切さはよく言われますね。ここで、もう一つ忘れてならないのが終わったあとのことです。まさか「絵日記に書いておきなさい」の一言で済まされてはいないと思いますが・・・。
 以前に、今の小学校の「総合的な学習の時間」の原形と言われる奈良女子大付属小学校の合科教育を見学した際も、また、創造性教育で世界的に有名なイタリアのレッジョ・エミリア幼児学校の「プロジェクト」学習について研究した時にも気づかされたことに、体験を再構成して子どもたちの内部で深化させる「学習の契機としての記録の大切さ」があります。ただ記録するのではなく、自由で豊かな話し合いがあり、刺激となる大人の上手な助言もあり、さらに様々に考える場と時間が保証された後で、書き、また口頭で伝える発表を行うことで、一人ひとりが素晴らしい成長をみせてくれます。
 せっかく家族で共有した経験を、みんなでしっかり話し合い、その過程で出てきた疑問や興味のあることを本やインターネットなどで調べてみる、そして、最後に自分なりのまとめとしての記録を作り(=書き言葉としてまとめ)誰かに伝える。まだ文字の書けない幼児でも、親子の対話で体験を言葉として確かめ深めていくことはできますね。例えば、家庭教授で学習してくれているKさん(小5)は、米国から帰国した小1の時以来、自己課題の習慣として、毎夏数十ページにおよぶ絵日記や調べ学習に基づく自作絵本を英文で書くことにチャレンジしているそうです。
 外国語を含め真に高度な言語能力を育むために、体験と対話に満ちた豊饒な夏休みをお子様にプレゼントしてあげてください。
 (04.8)



  少し先の姿を、期待をこめて


 子どもたちへのはたらきかけの基本は、いつも "HERE and NOW"(今、ここ)を原則に、とお伝えしています。できれば一緒に体験し、注意の向かう対象を共有しながら、教えたりほめたり、また叱ることが効果的なのです。
 今回触れたいのは、子どもは今を生きることに一所懸命な存在だからこそ、短期・中期の見通しを伝えてあげることが重要になってくるということです。「目標」ならよく話し合っているというお声も聞こえてきそうです。目標をきちんと理解して常に意識することは非常に大事なことですが、成否が明らかで厳しい面も必要な目標とは別に、「このままやっていったら、○○頃にはこんなことができるね」「半年後にはこうなっていたらいいね」といった今の努力の先にあるものを、わかりやすく楽しみを持てるように伝えていただきたいのです。一歩進んだ自分の姿をありありとイメージできるように。そして、「私(=保護者の方)の期待」という魔法の調味料を絶対に忘れないこと。「あなたがこんなふうになってくれたら、お母さん本当にうれしいな。」
 人間は、大好きな人の期待に応えるために努力をするとき、幸福です。 (04.2)



  『自信』への階段を


 人の話が聞ける、物事に前向きに取り組める、まっすぐに他者とのコミュニケーションができる、自分の意見をはっきり表明できる、そんな力の源となるのが「自信」。ほめて自信を育てよ、とは言われますが、本当に自信が持てるまでにはいくつかの段階が必要です。
 まず、自分のことを肯定的に気持ち良い状態で受けとめられること(自己肯定感)。これは周囲の大人(特に、親)がその子をしっかり受けとめてあげることの積み重ねにより育まれます。どんなに悪いことをしても行いだけをしかり人格を否定するような言葉は使わない、といった点も注意すべきですが、常に、「君のことが大好きだよ」「いてくれるだけでうれしいよ」というメッセージをスキンシップも交えて伝え続けることが実はたいへん重要です。次に「自分にはできる」という感覚(自己効力感)を持たせること。何事もできるだけまかせて(途中で口出しぜずに)やらせて、結果にかかわらず、できたこと、チャレンジしたことを認めてあげるのがポイントです。そして最後に、「きっとできる」というプラスの暗示を全幅の信頼とともに心から伝えてあげること。ただ口先だけでほめるのではなく、子どもの言動をよく観察し、上記を毎日少しずつでも実践できれば、物事に対する姿勢や態度が変わり、それが好結果を生み次のチャレンジにつながる、というように良い循環が起こってきます。
 今日から、お子様の将来のもっと大きな自信のために、始められることがあります!  (03.7)
16:55:43 | natalis | |

NATALIS NEWS アーカイヴ 第1回


<1>家庭教育の考え方編



    自己防衛の英才教育を


 師走を迎えて振り返ってみますと、今年は特に子どもを対象にした悲惨な事件が多い年でした。残念ながら、どんな環境の地域に住んでいようと、事件や事故から我が子をどうやって守るかを各自で本気で考えなければならない時代になってしまったようです。まさに、自己責任・自己防衛の意識と備えが、家庭ごとに問われているのです。
 ことは「安全」の問題だけではありません。経済的、教育的格差が拡がって二極化が指摘され、犯罪も激増している国内社会と、イラクに象徴されるような混迷する国際社会という時代環境の中で、希望する職業に就き使命感をもって強く生き抜く人になれるように、我が子のための「防衛」が必要とされています。自力で人生に立ち向かえるまでの長期戦略を立てそれに沿って取捨選択を行い、日々の実践を助けてやれるのは、家庭だけなのです。ご家庭では「防衛」という意識はお持ちでしょうか?
 家庭でできることには限りがありますし、子どもを縛り過ぎても逆効果になります。重要なことだけに絞り込んで長期的な視点で、しかし、確実に進めなくてはなりません。私は常々、12歳までに?あらゆる文庫・新書が楽に読めてその内容について自分の言葉で語り議論できる力、?大人を含む他者とのコミュニケーションをきちんと取り結ぶことができる能力、?高度な英語運用能力の土台、を家族中の協力で作り上げてやることを提唱しています。例えば、「受験させる」と決めれば、塾選びから志望校選択、そして受験当日まで簡単なパッケージとして様々なものが提供される時代ですが、進路や学校選びなどの外部の枠組みだけにとらわれずに、家庭での自己防衛こそ第一に考えるべき時代だと思います。(2004.12)




国語力の養成に力を注ぐこと


 常々、幼児期から児童期にかけての教育においてもっとも大切なものとして「ことば」を第一にあげて、その重要性をお伝えしてきました。本当に使える英語の力をつけるためにも、土台となる母国語がしっかりと伸びていくことが前提となります。また、多くの子どもたちの事例に接していて、幼稚園・小学校さらに中学校受験においても、思考力=国語力と言えるほど決定的な要素となっていると断言できます。さらに、「子育て」と呼ばれる親子関係や自立が中心課題となる領域においても、2,3歳の反抗期の段階から、小学3,4年生の所謂「難しい」時期の問題まで、発達段階に応じて十分な言語能力が育っているかどうかで大きく別れてしまいます。ここで注意しなければならないのは、「十分な」言語能力とは、どんなレベルなのかということです。「普通に話ができるから/国語の成績がまずまずだから、大丈夫」ではないのです。また、本をよく読む/読み聞かせるだけでも不十分です。言葉で未知の概念を認知し、再構築でき、自分の考えに沿って自在に操作できる力=真の思考力に到達するには、対話によってことばを鍛える経験が不可欠だからです。できるだけ早期から常に将来まで「安心できる」レベルをめざして、環境を整え働きかけをしていくという努力が必要です。(後略,05.1)



あるべき将来の姿から今を見る


 何が子どもの能力を最大限に引き出し伸ばす要因か、と考えてみますと、長年子どもたちの教育に携わってきた経験からは、やはり家庭の「教育力」が一番だろうと思われます。その「教育力」にもいろいろな要素があり、環境作り、体験の豊富さといった何をしてやるかというレベルから、日々の働きかけ、声かけの内容や方法、ほめ方・しかり方や、親の普段の生活態度まで、多様な次元の「接し方」が含まれます。
 では、すばらしい成功例には何か共通点が見つかるでしょうか。もし一つだけあげるとすれば、<将来の目標イメージをしっかり持ち、常にそこから現在を考えて>一つひとつの選択をし、日々の「接し方」にも方針を徹底する姿勢ではないかと思われます。子どもはどんどん変化しながら成長しますので、いつも中長期的な「あるべき姿」を念頭において対応するようにすれば、目先の問題にとらわれて一喜一憂したり焦ったりすることもなくなりますし、それが親子関係にもよい影響を及ぼします。最初の反抗期が始まった時、期待と現実の交錯する幼稚園、小学校の初学年、自我が目覚めてくる年代など、成長の節目の時期にある方々には特に大切な事のように思われます。 (03.9) 



「期待する能力」を高めよう!


 いつの間にか、我が子を減点主義でみるようになっていませんか?子どものいいところをみつけてほめましょう、とはどこでも言われていることですが、問題はいつも子どもをどう見ているかというです。
 「こんなに何回も一生懸命言ってきかせているのに、どうしてできないの」、そんな思いにかられることは多いもの。熱心に子どものことを考えている方ほど理想や目標が明確で、足りないところやできない部分に目が行きがちですね。けれど、子どもは自分なりがんばっているはずですし、できないのには必ず理由があるはずです。疲れや眠気などの身体的な条件やその元になる生活習慣、様々な心理的な状態、等々。原因や理由を探し出して、そこから一緒になって解決する、という姿勢を保てば、叱ったり小言を言ったりする回数もぐっと減るのではないでしょうか。そして、何より「これだけできるようになった」「こんなことにも対応できる精神的な器ができてきた」といった、今現在の子ども自身の能力の本当の状態=到達度合を正確に把握でき、心から子どもを認めほめることができるようになります。
 「でも、なかなか変わってくれなくて...」という声も聞こえてきそうですね。まず、基本的に<能力の伸びが発現してくるまでには、努力しても目に見える形にならない時期が必ずある>ことを認識しておく必要があります。子どもの中には大きなタンクがあって、それが一杯になるまではあふれて外に出てくることはない。タンクが大きければ大きいほど時間がかかるものと考えましょう。
 見えない器にたまる金貨をちゃんと「見て」あげながら待てる力を、我々保護者や大人の「期待する能力」と呼んでもよいかもしれませんね。    (03.12)



目標が見えていますか?
  その目標は適切ですか?


 最近、子どもたちの伸びていく姿を見ていて「目標」の力の大きさを強く感じています。中学生以上なら生徒自身の問題にな
るでしょうが、小学生以下では、やはり家庭でどのような目標を持たれているか、また、その目標がどの程度具体的にイメージされているか、ということが大きな差になって現れてきます。これは決して目先の目標としての受験を奨励しようとしているわけではありませんが、例えば、今我が子がなんとしても受験で最高の成功を納めなければならない状況に置かれていると仮定してみたらどうでしょう。「もしそうなら、こんなことをして、あんなことも、それから...」と、いろいろなことが次々に出てきます。受験でなくてもよく言われるようにプロのスポーツ選手とか一流の俳優とか、目標が大きくしかも切迫していればそれだけ多くの課題が出てきて、今すぐやるべきことがはっきりと見えてきます。そして、ひょっとして、そのうちのいくつかは、(そこまで厳しい目標を設定しなかったとしても)今から本当にできるのではないでしょうか。
 なんとなく「こんなものだ」と思って日常に甘んじてしまうのが人の常ではありますが、もっとも柔軟で伸長性に富み大きく学び成長していける黄金時代に親が小さな目標しか設定(想像?)してやれなかったために損をさせるこことがないようにしたいも
のです。   (05.10)
                      

16:02:16 | natalis | |