Archive for January 2006

04 January

NATALIS NEWS アーカイヴ 第1回


<1>家庭教育の考え方編



    自己防衛の英才教育を


 師走を迎えて振り返ってみますと、今年は特に子どもを対象にした悲惨な事件が多い年でした。残念ながら、どんな環境の地域に住んでいようと、事件や事故から我が子をどうやって守るかを各自で本気で考えなければならない時代になってしまったようです。まさに、自己責任・自己防衛の意識と備えが、家庭ごとに問われているのです。
 ことは「安全」の問題だけではありません。経済的、教育的格差が拡がって二極化が指摘され、犯罪も激増している国内社会と、イラクに象徴されるような混迷する国際社会という時代環境の中で、希望する職業に就き使命感をもって強く生き抜く人になれるように、我が子のための「防衛」が必要とされています。自力で人生に立ち向かえるまでの長期戦略を立てそれに沿って取捨選択を行い、日々の実践を助けてやれるのは、家庭だけなのです。ご家庭では「防衛」という意識はお持ちでしょうか?
 家庭でできることには限りがありますし、子どもを縛り過ぎても逆効果になります。重要なことだけに絞り込んで長期的な視点で、しかし、確実に進めなくてはなりません。私は常々、12歳までに?あらゆる文庫・新書が楽に読めてその内容について自分の言葉で語り議論できる力、?大人を含む他者とのコミュニケーションをきちんと取り結ぶことができる能力、?高度な英語運用能力の土台、を家族中の協力で作り上げてやることを提唱しています。例えば、「受験させる」と決めれば、塾選びから志望校選択、そして受験当日まで簡単なパッケージとして様々なものが提供される時代ですが、進路や学校選びなどの外部の枠組みだけにとらわれずに、家庭での自己防衛こそ第一に考えるべき時代だと思います。(2004.12)




国語力の養成に力を注ぐこと


 常々、幼児期から児童期にかけての教育においてもっとも大切なものとして「ことば」を第一にあげて、その重要性をお伝えしてきました。本当に使える英語の力をつけるためにも、土台となる母国語がしっかりと伸びていくことが前提となります。また、多くの子どもたちの事例に接していて、幼稚園・小学校さらに中学校受験においても、思考力=国語力と言えるほど決定的な要素となっていると断言できます。さらに、「子育て」と呼ばれる親子関係や自立が中心課題となる領域においても、2,3歳の反抗期の段階から、小学3,4年生の所謂「難しい」時期の問題まで、発達段階に応じて十分な言語能力が育っているかどうかで大きく別れてしまいます。ここで注意しなければならないのは、「十分な」言語能力とは、どんなレベルなのかということです。「普通に話ができるから/国語の成績がまずまずだから、大丈夫」ではないのです。また、本をよく読む/読み聞かせるだけでも不十分です。言葉で未知の概念を認知し、再構築でき、自分の考えに沿って自在に操作できる力=真の思考力に到達するには、対話によってことばを鍛える経験が不可欠だからです。できるだけ早期から常に将来まで「安心できる」レベルをめざして、環境を整え働きかけをしていくという努力が必要です。(後略,05.1)



あるべき将来の姿から今を見る


 何が子どもの能力を最大限に引き出し伸ばす要因か、と考えてみますと、長年子どもたちの教育に携わってきた経験からは、やはり家庭の「教育力」が一番だろうと思われます。その「教育力」にもいろいろな要素があり、環境作り、体験の豊富さといった何をしてやるかというレベルから、日々の働きかけ、声かけの内容や方法、ほめ方・しかり方や、親の普段の生活態度まで、多様な次元の「接し方」が含まれます。
 では、すばらしい成功例には何か共通点が見つかるでしょうか。もし一つだけあげるとすれば、<将来の目標イメージをしっかり持ち、常にそこから現在を考えて>一つひとつの選択をし、日々の「接し方」にも方針を徹底する姿勢ではないかと思われます。子どもはどんどん変化しながら成長しますので、いつも中長期的な「あるべき姿」を念頭において対応するようにすれば、目先の問題にとらわれて一喜一憂したり焦ったりすることもなくなりますし、それが親子関係にもよい影響を及ぼします。最初の反抗期が始まった時、期待と現実の交錯する幼稚園、小学校の初学年、自我が目覚めてくる年代など、成長の節目の時期にある方々には特に大切な事のように思われます。 (03.9) 



「期待する能力」を高めよう!


 いつの間にか、我が子を減点主義でみるようになっていませんか?子どものいいところをみつけてほめましょう、とはどこでも言われていることですが、問題はいつも子どもをどう見ているかというです。
 「こんなに何回も一生懸命言ってきかせているのに、どうしてできないの」、そんな思いにかられることは多いもの。熱心に子どものことを考えている方ほど理想や目標が明確で、足りないところやできない部分に目が行きがちですね。けれど、子どもは自分なりがんばっているはずですし、できないのには必ず理由があるはずです。疲れや眠気などの身体的な条件やその元になる生活習慣、様々な心理的な状態、等々。原因や理由を探し出して、そこから一緒になって解決する、という姿勢を保てば、叱ったり小言を言ったりする回数もぐっと減るのではないでしょうか。そして、何より「これだけできるようになった」「こんなことにも対応できる精神的な器ができてきた」といった、今現在の子ども自身の能力の本当の状態=到達度合を正確に把握でき、心から子どもを認めほめることができるようになります。
 「でも、なかなか変わってくれなくて...」という声も聞こえてきそうですね。まず、基本的に<能力の伸びが発現してくるまでには、努力しても目に見える形にならない時期が必ずある>ことを認識しておく必要があります。子どもの中には大きなタンクがあって、それが一杯になるまではあふれて外に出てくることはない。タンクが大きければ大きいほど時間がかかるものと考えましょう。
 見えない器にたまる金貨をちゃんと「見て」あげながら待てる力を、我々保護者や大人の「期待する能力」と呼んでもよいかもしれませんね。    (03.12)



目標が見えていますか?
  その目標は適切ですか?


 最近、子どもたちの伸びていく姿を見ていて「目標」の力の大きさを強く感じています。中学生以上なら生徒自身の問題にな
るでしょうが、小学生以下では、やはり家庭でどのような目標を持たれているか、また、その目標がどの程度具体的にイメージされているか、ということが大きな差になって現れてきます。これは決して目先の目標としての受験を奨励しようとしているわけではありませんが、例えば、今我が子がなんとしても受験で最高の成功を納めなければならない状況に置かれていると仮定してみたらどうでしょう。「もしそうなら、こんなことをして、あんなことも、それから...」と、いろいろなことが次々に出てきます。受験でなくてもよく言われるようにプロのスポーツ選手とか一流の俳優とか、目標が大きくしかも切迫していればそれだけ多くの課題が出てきて、今すぐやるべきことがはっきりと見えてきます。そして、ひょっとして、そのうちのいくつかは、(そこまで厳しい目標を設定しなかったとしても)今から本当にできるのではないでしょうか。
 なんとなく「こんなものだ」と思って日常に甘んじてしまうのが人の常ではありますが、もっとも柔軟で伸長性に富み大きく学び成長していける黄金時代に親が小さな目標しか設定(想像?)してやれなかったために損をさせるこことがないようにしたいも
のです。   (05.10)
                      

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