Archive for January 2009

11 January

アメリカから嬉しいお便り

 すでにご存知の通り、以前当欄でも触れた「世界の医療団」の赤羽桂子医師と同僚の看護師ビレム・ソールスさんが無事に解放されました。何はともあれ健康で無事に戻られたことを喜びたいと思います。

 うれしい知らせといえば、年が明けて海外から届いたカードの中に、なつかしいRさんの名前がありました。年長のはじめから3年半以上通ってくれていたRさんは、昨年からアメリカの小学校に通っています。ご両親との楽しそうなハイキングの写真に添えて、9月からの学校のためのESLクラスも(通常よりかなり早く)6月に卒業でき、現在では学校の宿題もほぼ自分でできていると近況が書かれていました。そして、何よりうれしかったのは、Rさん本人自筆の文章です。そこには、しっかりした文字で、初めてフィギュア・スケートのリサイタルに出場したときのことが書かれていました。作文としても上手な生き生きとした英語で、"I tried to make her smile by making funny faces during our performance. ..." といった描写が続いています。
 Rさんの場合は、海外赴任の可能性も高かったので、ご両親も計画的に英語力を育成することを考えられました。週1回の通常レッスンながら小1で英検5級を合格したように、当初から文法や読解も重視し、最後の1年間はネイティヴ講師の個別指導で読みとライティングを英語で教えるプログラムで備えていましたので、小3の秋には日本の高校レベルの副読本が読めていました。ですから、努力家で読書好きなRさんとご家族の上手なサポートも考えると、上記のような早期の適応もある程度予想できたことでした。(小学生以上で海外へ渡る場合は、実は読みと書きがポイントになるのです。)
 この順調なスタートから日本と海外とで様々な経験を積んで、Rさんもまたこの世界の全体を視野に入れた活躍ができる人に育ってくれるでしょう。そして、赤羽さんが記者会見で「なるべく早く自分の仕事である医療活動を再会したい」と語られていたような、人間として真の強さも身につけてくれることを期待しています。未来に期待が持てることは今を生きる者の喜びです。正月から本当にうれしい便りでした。

18:03:10 | natalis | |

01 January

<NATALIS Newsから> 『新知性主義』宣言 2009!

 2009年。また新たな年を迎えました。
皆様のご多幸とお子様の健やかなご成長を心よりお祈り申し上げます。
 
 さて、総理大臣も読めない「未曾有」の世界同時経済危機のために、暗いニュースと先行きの不安ばかりが強調される新年となりました。しかし、私はそれだけにとどまらず、この年の瀬から別の大きな欠落感を引きずったまま新しい年に入ってしまったようです。それは、評論家加藤周一氏が昨12月5日に亡くなられたことが、自分の中で日を追うごとに大きくなってきたことに由来しています。
 ご存知の通り加藤氏は、「評論家」という言葉ではとてもおさまらない史上有数の知の巨人でした。その知性は、古今東西の文学芸術から思想文明にまで精通し、その間を縦横に飛翔深潜して飽くことを知らず、89歳の最晩年まで衰えることはありませんでした。そして、知の人であると同時に行動の人でもあり続けたことを忘れてはなりません。常に時事問題にも積極的に発言されただけでなく、行動もされていました。例えば、かの「九条の会」の呼びかけ人に名を連ねたのがつい2004年のことで、その後も高齢をおして活動されていたのは周知の通りです。
 私事ではありますが、当学院を設立するに至った動機も深くたどれば加藤氏の言葉に行き着きます。もともと、教育一筋に携わってきたのは、人類の直面する課題を解決するのはただ人間の英知によるしかないとの確信を拠所としてはいました。しかし、どこかで現状に流されているような思いが消えませんでした。そんなとき深夜のテレビの中で、嘘のように美しく晴れ渡った青空を背景に、何度か見上げたことのある白いビルが音もなく崩れていくのを目撃したのでした。ただ身動きもできずに、繰り返される映像を見ながら頭の中で響いていたのは一つの言葉でした。それは、加藤氏の著作の中で何度か出会った「知ることからはじめるしかない。そして、本当に知ったなら行動するしかない」といった意味の言葉でした。その時に考えたことの詳細はまたの機会に譲るとして、とにかく今この瞬間から始めるしかないと、夜が明けるころには決意していました。そして、もう一度「誕生する」という意味をこめて "NATALIS" という名前だけを決めて1年半、仕事も生活も大きく変え、再度米国に渡って様々な確認も行った上で、当学院の開校にたどりついたのでした。

 直接子どもたちに触れ、子どもたちを取り巻く社会の動きを注視していて感じるのは、20年前よりも10年前よりも明らかに知識が軽視されて来ているということです。PCやネットに繋がった携帯電話という外付け記憶装置があるのだから知識を頭に詰め込む必要はないという人もいます。そういう人たちは、知識を組み合わせて新たな物の見方・考え方の総体を創り出す思考力や知能のことを知りません。また、知識は真に「ことば」であり、ことばが思考を支え生み出している本体であることを知りません。もう一度、いや、日常世界は広がり高度化しているのですから過去のあらゆる時以上に、すべての子どもたちが豊かな知識を自らのものとできるように、そして、複眼的でもっと広い視野で、深く物事を捉え考えられるように、私たちにできることはあると思います。制度や組織に頼るのではなく、家庭の、親の自助努力=自己防衛手段として、一人の人間の自由な行動の原点として、我が子に本物の知性を持たせること、そのためにまずことばの能力を鍛え上げること。私たちは、そのお手伝いを最大限の努力で行うことを改めて宣言します。それが加藤氏の不在という、不幸にも現状を象徴してしまうあまりにも大きな空白を少しでも埋めていくことにつながると信じたいと思います。
21:50:00 | natalis | |