Archive for 01 October 2011

01 October

<Natalis News>より 山あり谷あり、時には再生の儀式やイベントも!

 あの酷暑の夏から一転して気温が下がってしまいましたが、ご家族の皆様は、体調を崩されたりされていませんでしょうか。
 さて、今年のテーマはといえば、間違いなく「復興」ということになりそうですが、改めて一人ひとりの個人史、成長の歴史においての大小の「波」と辛く苦しい時期からの立ち直りについて考えてみたいと思います。
 子どもたちは日々忙しく暮らしていますが、成長という観点からはどんなことも長期的営みとして考えられなければなりません。であれば当然、物事の巡り合わせの悪い、深い谷底のような時期も必ず何回かは訪れるものです。数年前のいくつかの例を組み合わせを変えて典型化してみると;受験生で1学期までで部活を引退し虚脱感を持ちながらも塾の夏期講習で勉強漬けの夏休みを送る。9月になって気候の変化にあわせるように風邪をこじらせたところに模試で大きなミスをして自信を喪失、そこにペットの死が重なって…。幼稚園児や1年生では、夏休みに帰省や旅行でリフレッシュしたつもりが9月になっても生活習慣が戻らず毎日の最低限のことがままならない状況が続ているところに、親の方も忙しい事情ができてなにかにつけ叱るばかりになってしまい、とうとうストレス症状が出てきたところにインフルエンザ…。挙げればきりがないほどですが、体調、周囲との関係の変化、やりたいことと現実との乖離(学校の成績から、赤ちゃんにお母さんを取られてしまうという不安まで)などの精神的な混乱や圧力、そして本人自身ではどうすることもできない外部要因の出来事や状況、等々。そんなことがいくつも同時に重なるような事態もあり得なくはないわけです。
 大人でもそんな途方に暮れてしまうときがあるものです。ただがむしゃらに何かをがんばり続ければいいのなら悩む必要はありません。たいていは、どうしたら抜け出せるかが分からないためになかなか事態を好転させられないのです。我が子がそんな状態に陥っている時、親として何ができるでしょうか。取り除ける要因は出来得る限り排除するとして、それでも目標を明確に意識させるとか、ほめて励ますといった基本的な対応も無理、あるいはかえって逆効果になるような場合すらあるでしょう。ほんの少しのこと、十分わかってることでもやる気が出ない、自分で自分を変えられないから問題なのです。
 いっそ何もかもやめて全てを白紙にしてしまえれば、話は簡単かも知れません。それができないから悩むのですし、長期的な視点で考えれば簡単に方針変更してよいことなどないのは言うまでもありません。そこで、今回のヒントは本当にたいへんだぞと思われたときには、「儀式的なイベント」を導入されることも検討してみていただきたい、ということです。
 日本に限らず、昔から地震や台風などどうすることも出来ない自然の猛威に翻弄されてきた人類は、理不尽な破壊や死(につながる物事)とそこからの再生を願い、それを共通の原型として神話や伝承行事にして伝えてきました。人類に普遍の「集合的無意識」(ユング)とも言われますが、我が国のイザナギ(黄泉の国を訪れて帰還する)神話をはじめ、古くはエジプトのオシリスの神話からキリストの復活から、春の到来を祝う各地のお祭りまで<死と再生の物語>を民族を越えて受け継いできています。それを念頭に、あるお家では、煮詰まってくるとある山に家族全員で登ると決められていました。また、片道半日かけておじいちゃんのお墓参りに行って一人ひとりが話をしてくるお家や、万全の準備をしておいて日曜の一日中寝室でごろごろとパジャマで過す(テレビやゲームや電話は禁止)という話も聞いたことがあります。ユングのつながりなら、箱庭療法にヒントを得て、家族皆で一枚の大きな絵やジオラマのような模型を制作するといった方法もあります。昔から祭りや儀式は厳格な規律が守られてこそ。我が家の儀式を考えておき、いざという時には全員で真剣に執り行える体制を整えておきたいものです。

17:23:00 | natalis | |