Archive for 17 May 2011

17 May

英会話 4つの“?” <1>幼児英会話は「触れる」だけでいいの?

 世間に流布している英会話についての“?”な事柄について、私たちの考え方をお伝えするシリーズです。


 → 「幼児のうちにネイティヴの本物の英語に触れておけば少しはちがうかと思って...」とか、「習い事として楽しくやってくれれば少しはプラスになるだろうし...」「勉強じゃなくて、本人が積極的に英語や外国の人に触れてくれたらそれで...」というようなことばは、幼児期の英語教育についてよく聞かれます。謙遜や衒いがふくまれているにせよ、本当にそうですか、と思わず本音を聞き返したくなります。

 英語のような今すぐ絶対に必要でなさそうなものをわざわざ相当な時間と労力と経費をかけて習わせるのに、ただ「本人が楽しんで」「触れるだけ」でもいいのでしょうか。それとも、本音では「ネイティヴ並にかっこいい発音でぺらぺらしゃべってくれたら」と本気で望んでのことでしょうか。
 このことについて私たちの立場は明確です。目の前のこの子、この我が子の将来のことを考えて今できる最善の選択をするのが親の役目だと信じ、その思いに最大限に応えるのが私たちの役目=存在意義だと決めているのです。
 後にほとんど残らないのなら、それは無駄か気休めでしょう。私たちのアリティス・メソッドは、幼児期からの楽しい経験がそのまま上の段階へ、より高度な英語力を養成することに直結するように設計されています。それは、
 “我が子の将来以上に大切なものはない”
というごく単純な信念に基づいています。
 この信念を実現するために、これまで流布されてきた風説の幻想を取り払うところからはじめました。ネイティヴ(講師)とたくさん楽しく触れ合えば、ネイティヴのような発音やイントネーションが身につき、ぺらぺらしゃべれるようになるというのは、企業の営業努力が産み出してきた幻想です。それが可能になるのは、英語だけで保育をする環境で最低でも例えば1日6時間以上かつ週5日以上といった英語漬けにする必要があります。ただし、母語である日本語を犠牲にしてであることを忘れてはなりません。(これは専門的には、移民などの多重言語社会に暮らす人々の「第二言語」と定義されることばの習得様態です。)
 日本語の環境内で生活し、将来深い思考と最も微妙で繊細な感情と感覚の表現を日本語で行う人になるのなら、英語はしょせん外国語です。いやむしろ積極的に「外国語」として扱い、その最も効率の良い習得法を追求したのが、私たちのやり方なのです。(私たちの方法でも、ネイティヴ講師との意味のある触れ合いの中で言葉(英語)のやり取りを繰り返す経験は実際に英語を運用する力の核ともなる非常に重要なものだと位置付けています。しかし、ただ自然に触れるだけでは不十分で、絶対にある段階からは<理解し><練習し>ながら、<意識的に英文を作れる>力を養成し、それを<速く正確に>できるレベルまで高めるトレーニングの必要があるのです。)
 一見同じようにネイティヴ講師と楽しく遊ぶレッスンでも、その先で何をどう学びどのような力をつけていくのかを精緻にプログラムしてあります。そして、幼児期の経験を小学校段階で確実に形にしていく方法論を確立しているのです。さらにその上の中学以上の「学力」へも。だからこそ、幼児期の英会話教育を「触れるだけ」では終わらせませんと自信をもって(実例を伴って)断言できるのです。
 確かに時間はかかります。しかし、時間と労力がかかっても、かかっただけのものが残せればよいのではないでしょうか。「将来」と呼んでいるのは、かけがえのないこの子の可能性の広がりのことなのですから。

23:26:00 | natalis | |