Archive for 01 September 2014

01 September

<Natalis Newsより> 思想の可能性 〜 ビッグデータの時代に

 ウクライナ情勢は、国連決議にもかかわらず、ロシア兵の侵入が報道されるなど解決にはほど遠い状況が続いています。シリアやガザ、イラク国内の様子から一党独裁の某大国の強引な拡張路線まで、「テロとの戦い」(米)で始まったこの世紀は、先の大戦と冷戦を乗り越えて鍛えられてきたはずの平和や民主主義といった基本理念さえも、さらに過酷な挑戦にさらされる試練の時代を迎えているようです。
  そんな夏のある日、某国立高校に通うAさんと過去問題集を学習していると、アインシュタインらと並んでバートランド・ラッセル卿の文章がありました。保護者の皆様も受験勉強のときに一度はあたったことがおありでしょう。数学者で論理哲学者であったラッセル卿らしく正確であろうとする意志の行き渡った文体です。最初は一文が長く複雑で苦戦していたAさんでしたが、精読を重ねるうちに明晰さを追求した彼ならではの文章の味と思想(考え方)の幾許かが感じ取れるようになってきました。(ちなみに、バートランド・ラッセル自身は、哲学者としては現在ではヴィトゲンシュタインを世に出したことや有名なパラドックスなどが語られるくらいで、後半生の行動する知識人の代表として尊敬されてきた(ノーベル文学賞受賞)人物と認知されていますが、高校の社会科ではほとんど触れられることはありません。)
 ラッセルを知らないということで社会的・哲学的思想の話になったりもしたのですが、現代の、つまり戦後の大まかな思潮の変遷(終戦後に入ってきた実存主義から、学生運動期までのマルクス主義、さらに構造主義からポスト構造主義への進展など)や、その基になった主な思想史上の内容も、成績優秀で読書家のAさんでもほとんど知らない、知る機会がなかったようでした。明治維新以降、あらゆる文物を西欧から取り入れてきたこの国では、戦後だけ見ても流行した思想は西洋の輸入/後追いに過ぎず、多くの人にはリアリティのない「難しい話」でしかなかったのでしょうし、学校教育の現場でもごく狭い隅に追いやられている感があります。しかし、広範な批評に耐えて広く受け入れられた思想は、その時点での人間についての思考の、最も深い到達点の一つであると同時に、そのまま進んで行った先にある未来についての最も確かな言説ともなるものです。つまり、現代の思想を学ぶということは、目の前のこの世界をどう見るかを学ぶことであり、それは来るべき将来への指針を得ることでもあるはずです。
 ここまできて、しかし、話が先へ進まないことに気がつきます。今、2014年の社会と人間をどのような言葉で記述することができるのか。西洋型文明下の先進国だけでなく世界全体の状況を視野に入れるとき、例えば、民主主義という基本概念のあり方一つをとってみても様々な文脈で考え直さなくてはなりません。既に、文字通りグローバルな世界を生きることになっていて一国の政治体制内では解決不可能な問題が増えていること、そして、携帯電話とインターネットの普及で個人の情報発受信の自由度が爆発的に増大したことが前提となり、一方で、日々蓄積されている途方もない量のビッグデータが様々なドメイン(適用分野)を重層的に横断して活用されるようになれば、情報が社会や経済の未来を決め、それによって個人が直接間接に支配されてしまう可能性すら見えています。つまり、従来のような一人の思考のなかで統合され編み出された思想ではなく、つながり合った世界の、そのつながり自体のなかから浮び上がってくるもののなかからしか未来は語れない、そんな新しい時代が既に始まっているのかもしれません。
 そうだとして、それでも未来を切り開いてゆかなければならない我が子たちには何が必要なのか。データサイエンスを語る人々が忘れている先人達の知恵や思想というもう一つの「ビッグデータ」を学び継承した上で、つながり合った情報の海のなかに漕ぎ出して行くためのコミュニケーション力とその土台となる言語思考能力を身につけること、これだけは間違いないようです。

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