Complete text -- "<NNより> 普遍性をめざすために"

01 February

<NNより> 普遍性をめざすために

 英語を学ぶ目的は何かという話になることがあります。そんなときは中高生の生徒には「常に普遍性に到達することをめざす」べきだという話をしています。
 ちょうど「STAP細胞」を作製した小保方晴子博士のことが過熱気味に報道されていて、以前に『Nature』に投稿した時にはデータ不足等から厳しい言葉で突っぱねられて…、云々といった話が伝わっています。科学の世界では新しい知見が認められるためには、誰でも納得できるだけの客観性と再現可能性が必須の要件とされますが、科学の厳密性は別にしても、そのような「普遍性」をめざす姿勢こそが、これからの時代にますます必要とされると考えられます。
 今年になってから首相の靖国参拝以降激しさを増した中韓の反日キャンペーンのニュースを聞かない日はない程です。隣人である両国が世界中であらゆる機会をとらえて日本批判を執拗に繰り広げていることも、外交戦争とも言われる国同士の利害のぶつかり合いの場では普通のことと見なされています。グローバリズムの現代は、必然的にナショナリズムの時代でもあり、この国も否応なくそんな争いの場に引きずり込まれることを逃れられないというのが現実なのでしょう。そんな時代をこれから社会に参加して長く生きていくことになる我が子に、何が教えられるでしょうか。我田引水がスタンダードかのように見える外交や政治のニュースやネット内の匿名性に隠れての卑劣な言論があふれる世界を生きていく中で、その時代固有の特性を見抜き、そこから自由な地平に立って次のより良い世界を導く力になれるためには、どんな指針が示してやれるでしょうか。そんなことを考えていると、自然に「普遍性」に至ってしまうのです。
 具体的な思想も信条もそれぞれが自分の学びと経験を基に構築していくしかないものですが、最も基本の土台として、自らの知性に恃むしかないのだということ、そして、知性は必ず「普遍」を指向するものだということをもっと強く伝えていかなければならないと思います。もちろん、その知性も普遍性も、国や民族単位ではなく人類共通の、言葉の本来の意味での「普遍」でなければなりません。
 先の小保方博士は、早稲田大学大学院生時代にハーバード大学に留学された時の体験記で、毎週参加していた研究室の発表は「聞いて理解するものではなく、自ら考えて意見を述べるもの」で、授業は学生が活発に質問し「その質問に対し、教科書的に答えるのではなく最新の知見や自身の研究データを基に真摯に自分の意見を述べる教授陣の姿」に感動し、気がつけば毎回自分も質問するようになっていたと書かれています(早稲田大学/「実践的化学知NEWS」より)。
 普遍性とは、開かれた場で、真理に対して真摯な姿勢をもった知性が切磋琢磨するなかでのみ追求され得る究極の価値だと言えるかもしれません。英語は、もちろん、そのための必要条件です。

02:50:44 | natalis | |
Comments
コメントがありません
Add Comments
:

:

トラックバック
DISALLOWED (TrackBack)