20 May

英会話4つの“?” <4>いつからはじめればいいの?もう手遅れ!?

 世間に流布している英会話についての“?”な事柄について、私たちの考え方をお伝えするシリーズです。


 → 英語を習うのは早ければ早いほどよい、となんとなく思っていませんか。本当のところはどうなのでしょう。もちろん、いつからであっても「手遅れ」などということはありませんが、はじめる時期による違いや注意点を知り、その時期に最も効果的な方法ではじめることが重要です。そして何より到達目標を考えずに始める時期だけを議論しても仕方がないのではないでしょうか。「いつから...」と思い始めた時は、実は我が子にとって大事なことを真剣に考えるチャンスなのです。

 確かに、より早期に始めるほど、耳の良さや発音の面で有利であったり、英語でのコミュニケーションおける「感覚」がしっかり培われていたり、といった利点があります。(ここで言う「感覚」とは、例えば言語的に知識として知っている以上のレベルまで相手の言いたいことを汲み取る能力などのことです。)しかし、学習のレディネスという点では年齢が高いほど基本能力が高いのは当然ですから、一定の範囲まで早く到達できるという利点があります。そこに、本人の興味や性格、生活全般のことなど様々な個別の要素も含めて判断しなければなりませんから、難しい問題です。

 英語学習に何を求めるのかを明確にして、中期と長期の目標と学習の見通しをたてられることをおすすめします。英語をどう学んでいくかを考えることは、その子の当面の人生設計にもつながります。幼児のお子様でしたら、なかなか小学校受験をどうするかとかその先の中学高校の受験といったことまで考えられないかもしれません。中学入試の準備を始められた小学生の方には入学後にどんなことが待っているのかはあまり想像できないことでしょう。学校生活も受験も現在は昔の知識では考えられないような状態なのです。が、大事なのはさらにその先のことであるはずです。その先のことを考えながら、今最低限何をやればよいか考える必要があるのです。そのとき、今の英語学習をどうするか=いつまでにどんな力をつけておくかを設定することが非常に大事なカギとなることに気付かれることでしょう。英語はそれほど学校生活の中で、また社会に出る時までを左右する重要な要素なのです。


【付録】「0歳からクラスがあるんですか?」にお答えして


 当学院では0−1歳からのクラス設定があり、実際、生後2ヶ月目の方は例外としても4〜6ヶ月目から始められた方もかなりの数になります。この0歳からの設定には明確な理由があります。それは、言語(母語)の獲得に向けて赤ちゃんの認知能力が日に日に高まるこの時期に、別の言語である英語でも適切なかかわりの中でよい経験を持つことが、全体的な言語能力の発達に良い影響を与えることがわかっているからです。
 ことばの獲得と聞けば、1歳前後のしゃべり始めの時期を思い浮かべられるかもしれませんが、それより何ヶ月も前、誕生後ただ寝ているだけのように見える時期から、赤ちゃんはただ受け身で外部の刺激に反応するだけではありません。自分のすべてをまかせる養育者(ここでは代表例として母親とします)の声や匂い、抱き方などを他のものから峻別し、また同時に、自分が成長していくのに必要な働きかけを引き出す行動までとっているのです。
 例えば、発達心理学で言う「クーイング」という行動があります。生後6〜8週間頃に赤ちゃんが発するようになる「アー」とか「クー」とかいうあの可愛い声のことです。これは授乳の間に気持ち良く揺らしてもらうことを求めていたり、その後には自分の言葉に反応して何かを語りかけてくれるように母親を促していたりという、(本人は意識していないにしても)目的を持った行動なのだと考えられています。そうして、自分にたっぷりと言葉をかけてもらって、様々な音声や音節(音の区切り)、イントネーションや意味・意図など、膨大なデータを蓄積してやがてことばが理解できるようになっていくのです。このように、赤ちゃんでも母親との相互作用のなかで能動的に働きかけることまでして自分に必要な刺激を導き出し、それを学んでことばを獲得していくのです。

 上記はほんの一例に過ぎませんが、そこに近年の脳科学の目覚ましい成果などの様々な知見も取り込みながら、長年にわたる多数の指導経験をもとに具体的な指導プログラムが改良されていきます。0歳には0歳の、小学生ではじめて英語に出会う子にはそれに合わせた方法があり、そのすべてが一つの人間観、人間の発達観とでもいうものに沿っていることが重要なポイントです。目の前の我が子の成長と発達を長い目でみて最良の“今”の働きかけを方法化すること。ぶれない目標を設定し、「この子」の将来像を見通して学習を計画すること。この点で保護者の皆様と共通理解ができていれば、どの年齢からであっても少ない負担で最大限に伸ばしていけると確信しています。


23:22:00 | natalis | |

19 May

英会話4つの“?” <3>「会話力」と学力」って別ものなの?

 世間に流布している英会話についての“?”な事柄について、私たちの考え方をお伝えするシリーズです。

 → 小学高学年や中学生の会話です。「あなたずっと英語習ってたんでしょう?」「うん、でもあれは英会話だったから。」これだけでだいたいどんな状況でどんな意味で交わさせている会話か、多くの方が想像できるのではないでしょうか。
 マスコミや公官庁の統計資料等の多くにおいても、英会話はスイミングや音楽と同様の「習い事」という範疇に収められ、塾や予備校などとは区別されることが多いようです。その意味をつきつめれば、入試や学校の成績といった実際的で明確な結果が求められるものと、経験や技能を高め素養となるものを長い時間をかけて身につけるもの=目先の目標達成などで判断されず習うこと自体に価値があると考えられているもの、といった違いがあるようです。
 さて、冒頭の会話は、何年も習ってきた子がテストの点が悪かったとか、問題に答えられなかったといった場面で、あれは「タダノ習い事ダッタカラ」とあきらめまじりに弁解しているところ、というよくある場面です。しかし、もしこれが我が子のセリフだったとしたら、どうでしょう。あるいは、将来こんなことを言う可能性があるとしたら。毎週々々の時間と労力と経費をかける気がするでしょうか。
 「いや、少なくとも英語好きになったのだから」、とか
 「発音は悪くないし、耳もきっと・・・」と満足できるでしょうか。

 当然の話ですが、将来(この場合は中学以降で)役に立たないものなら意味がありません。また、そもそも英語力は一つであって会話力と学力が別物として扱われること自体おかしなことです。実社会で必要とされるレベルが最終目標ならば(それにも様々な段階があるでしょうが、一般的な仕事や活動、生活や交流の最低限のレベルと想定したとしても)、中学高校程度の学力(語彙、文法、読解力、作文力等々)がなければ、会話そのものも到底内容のある十分実用に耐えるものにはならないでしょう。
 問題は、これまで会話力と学力を同時につける方法がなかったことによるのです。そして、英会話は特殊技能であり、ネイティヴまたはそれに準ずる講師とたくさん話す練習をするしかないと思い込まされ、「英会話」という特殊な「習い事」がなんとなく成立していたことによるのです。(方法的には、第二言語の習得の方略を手っ取り早くまた営業的理由から採用してきたことによる、ということは『4つの“?”<1>幼児英会話は「触れる」だけでいいの?』で述べた通りです。)結局、極言すれば、こういった「英会話」か、中学校の先取り学習としての旧態依然とした文法中心の学習法しかなかったことがこの国の子ども英語教育の不幸と言えるでしょう。
 
 私たちの方法については他でも詳しく触れていますのでここではあまり繰り返さないようにしますが、ポイントだけまとめると以下のようになります。

・これまでの英語教育に絶対的に足りなかったのはコミュニケーションの部分であり、小学生以上ならそれをただ触れるだけの経験で止めずに、コミュニケーションの能力と姿勢とを養成する方法をとること。その中心は初級段階では「相手の意図を汲み取る」力をつけることに集中すべきで、そのためにネイティヴ講師との対話学習を確保し、楽しみながらも何が飛び出すかわからない真剣勝負の場面に参加させること。

・小学低学年であっても、十分に英語に触れる経験を持ち、わかりやすく焦点をあてられた英語を系統的に与えられた後でなら、文構造や文法的な事項も無理なく理解できるようになる方法がある。そして、その子の認知面の発達に寄り添い、理解し納得することを重視して日本語も使って教えること。

・全体としては、子どもたちにとって意味のある内容で(教授法的には、コンテンツ・ベースで)、その中でも重要な言語要素には注意を向けながら(Focus on Form)、繰り返し練習も入れ(スパイラルな回帰構造をもったシラバスで)、常に現在の力のその次の段階(最近接領域)が身につくように配慮しながら、学びの全体を構成していく、等々。

 最後は専門的に書いてみましたが、実際には週1回50分の楽しいレッスンを続け、宿題は単語を見写しで書くような簡単なプリントを2〜3枚程度で、2、3年続けていただければ英検5級(中1終了相当)に合格するレベルの力は十分身につきますし、その先も4級、3級(中3終了相当)と小学生のうちに進むことは十分に可能です。そして、毎回お伝えしていますが、英検3級まで進んだ生徒でも、半分を占めるリスニングについては全く教える必要がありません。知らない単語もいくつかは使われているわけですが、なんとかして聞き取るというより「わかってしまう」と彼らは説明してくれます。「相手の意図を汲み取る」能力が育っているのです。そして、基本的な英文は作れるようになっていますから、本当に自分が言いたいことを言えるようにするための発話やライティングのトレーニングは、この段階から本格化させていくのが効率的なのです。



23:23:00 | natalis | |

18 May

英会話4つの“?” <2>小学生で「感覚づくり」って、遅くない?

 世間に流布している英会話についての“?”な事柄について、私たちの考え方をお伝えするシリーズです。


 →  現在小学校で行われている英語の授業は(力を入れている私立でも4年生位までは)、音声を中心に英語に慣れることに主眼をおいています。これは、まず英語に前向きな姿勢をつくり、大きな声で挨拶や単語を言ってみるレベルから、ゲームやロールプレイなどを通じて英語を使う感覚を養っておこうということです。  
 公立では、新指導要領によると今年から必修化された小学校の英語科のなかで5,6年生(年間各35コマ)の授業で行う内容もだいたい上記のようなものになりそうです。(*詳細は別項にて記載)
 
 制度上の問題点はよく承知しているつもりなので学校の英語を批判するつもりはさらさらありませんが、純粋に方法論から言えば、上記のようなことは幼児期にこそ、より効率的に、本人も楽しみながら、そしてより深く育てていける感覚的な能力なのです。聞き分ける力と発音をまねる音声面の力は、肉体や脳・神経系の発達からも当然ですが、誕生に近い程大きく伸ばすことができます。4歳児と1歳児を比べた場合でさえ、誰が見ても1歳児の吸収力、自己形成力に驚くことでしょう。他にも、幼児期特有のそのままお手本をまねて身につける学習力、周囲を気にせず思いっきり何かになりきって楽しめる力、相手にまっすぐ向かっていくコミュニケーションの姿勢等々、幼児の持っている圧倒的に有利な学びの機構が最大限に発揮できるのが、上記のような領域なのです。
 反対に、小学生になると高次精神機能ともいわれる「知性」の働きが一般的に2年生頃から急激に高まり発達してきます。その知性と、知性がダイナミックに成長していくこと自体を最大限に活用してこそ最良の学びが実現できるのではないでしょうか。
 少なくとも我が子の教育に関しては、こうありたいと思うのです。英語の「感覚づくり」は夢中になれる能力が最大である幼児期に中心を置き、できる限り体験的に行いたい。ただし、小学校の低学年くらいまでは経験の蓄積は重視してよい。一方で、乳児の時から知性の土台となる母語の言語能力を高めることを最大の目標とし、小学生で抽象的思考力を確固としたレベルまで鍛える。その知性を動員しながら外国語も先の感覚に基礎を置きつつ効率良くより高次の段階まで学ばせる。・・・・・。
 (テーマとさらに離れてしまいますが、世の中とか標準とかではなく、目の前の我が子にどんな人になってもらいたいか、最低限どんな能力を持っていてくれなけば親として安心できないか、そんな自問が根本にあります。そして、背景知識として、子どもは世間の常識や制度によって決められたものをはるかに超える能力の可能性をもっていることを知っていること、親が直接的な影響力を発揮できるのはおそらく12歳までであること、そして、世界を見渡せる広い視野を持った知性だけが現前する諸問題を解いていく唯一の力であるという確信、そんなものがあります。)



23:24:00 | natalis | |

17 May

英会話 4つの“?” <1>幼児英会話は「触れる」だけでいいの?

 世間に流布している英会話についての“?”な事柄について、私たちの考え方をお伝えするシリーズです。


 → 「幼児のうちにネイティヴの本物の英語に触れておけば少しはちがうかと思って...」とか、「習い事として楽しくやってくれれば少しはプラスになるだろうし...」「勉強じゃなくて、本人が積極的に英語や外国の人に触れてくれたらそれで...」というようなことばは、幼児期の英語教育についてよく聞かれます。謙遜や衒いがふくまれているにせよ、本当にそうですか、と思わず本音を聞き返したくなります。

 英語のような今すぐ絶対に必要でなさそうなものをわざわざ相当な時間と労力と経費をかけて習わせるのに、ただ「本人が楽しんで」「触れるだけ」でもいいのでしょうか。それとも、本音では「ネイティヴ並にかっこいい発音でぺらぺらしゃべってくれたら」と本気で望んでのことでしょうか。
 このことについて私たちの立場は明確です。目の前のこの子、この我が子の将来のことを考えて今できる最善の選択をするのが親の役目だと信じ、その思いに最大限に応えるのが私たちの役目=存在意義だと決めているのです。
 後にほとんど残らないのなら、それは無駄か気休めでしょう。私たちのアリティス・メソッドは、幼児期からの楽しい経験がそのまま上の段階へ、より高度な英語力を養成することに直結するように設計されています。それは、
 “我が子の将来以上に大切なものはない”
というごく単純な信念に基づいています。
 この信念を実現するために、これまで流布されてきた風説の幻想を取り払うところからはじめました。ネイティヴ(講師)とたくさん楽しく触れ合えば、ネイティヴのような発音やイントネーションが身につき、ぺらぺらしゃべれるようになるというのは、企業の営業努力が産み出してきた幻想です。それが可能になるのは、英語だけで保育をする環境で最低でも例えば1日6時間以上かつ週5日以上といった英語漬けにする必要があります。ただし、母語である日本語を犠牲にしてであることを忘れてはなりません。(これは専門的には、移民などの多重言語社会に暮らす人々の「第二言語」と定義されることばの習得様態です。)
 日本語の環境内で生活し、将来深い思考と最も微妙で繊細な感情と感覚の表現を日本語で行う人になるのなら、英語はしょせん外国語です。いやむしろ積極的に「外国語」として扱い、その最も効率の良い習得法を追求したのが、私たちのやり方なのです。(私たちの方法でも、ネイティヴ講師との意味のある触れ合いの中で言葉(英語)のやり取りを繰り返す経験は実際に英語を運用する力の核ともなる非常に重要なものだと位置付けています。しかし、ただ自然に触れるだけでは不十分で、絶対にある段階からは<理解し><練習し>ながら、<意識的に英文を作れる>力を養成し、それを<速く正確に>できるレベルまで高めるトレーニングの必要があるのです。)
 一見同じようにネイティヴ講師と楽しく遊ぶレッスンでも、その先で何をどう学びどのような力をつけていくのかを精緻にプログラムしてあります。そして、幼児期の経験を小学校段階で確実に形にしていく方法論を確立しているのです。さらにその上の中学以上の「学力」へも。だからこそ、幼児期の英会話教育を「触れるだけ」では終わらせませんと自信をもって(実例を伴って)断言できるのです。
 確かに時間はかかります。しかし、時間と労力がかかっても、かかっただけのものが残せればよいのではないでしょうか。「将来」と呼んでいるのは、かけがえのないこの子の可能性の広がりのことなのですから。

23:26:00 | natalis | |