Complete text -- "<Natalis News>より  AI時代の我が子の教育  〜 実は、重要なのは . . ."

01 August

<Natalis News>より  AI時代の我が子の教育  〜 実は、重要なのは . . .

 長年子どもたちと接していますと、継続的に、したがって長い間に大きく変化してきていることに気付きます。今回はそのうちの一つ、知識の減少について考えたいと思います。
 もちろん個人差が非常に大きく、厳密な調査もできませんから、あくまでかかわってきた者の思いとしてお読みいただきたいのですが、いわゆる「ゆとり教育」が見直しされて以降もずっと子どもたちの知識量は漸減傾向にあると感じています。英語のためにもいつも国語力にこだわっていますから、教室内外での子どもたちの言語活動を観察しているのですが、自ら発する言葉も質問に答えて自分の中から探して引き出す時も、語彙が少なく知識が浅く狭い印象を受けることが多くなっています。中学/高校受験の厳しさはそれほど変わっていないのに、同じように立派な成績をあげている子どもたちを比較しながら思い出してみても、10年前、20年前と比べて話の中などで自分で使える知識は明らかに減少しているように思われます。
 その理由として考えられることは多数あります。詰め込み教育への反省から学校教育が長年にわたり知識偏重から転換しようとしてきていること。テレビ・新聞などの主要メディアと接する量の低下と反比例するパッドやスマホなどの検索型情報端末の使用量の増加。知識や語彙を与えてくれる(親を含む)大人との対話の減少。読書の質・量の低下。等々。こういった現象の大本には、この世界や社会をどう見てどう語るか、といった思想や世界観にもつながる思索や議論の欠落という社会的・時代的背景があると思われますが、今はそこまで話を広げないでおきましょう。
 「知識なんて価値はない」と声高に言い放つ人も増えています。「ググる」という言葉が定着した現代にあっては、知識は皆の手のひらの中にあって瞬時にアクセスできるのだから、わざわざ苦労して覚え込んで何になる、というのです。そして、その根拠としてビッグデータとディープラーニングで驚異的に進化を続けるAIが今や家庭にも会社にも、世の中のあらゆる部分に入り込み始め、人間を超える知識=情報を操作する時代になっているのだと言われます。それで、人間が知識を覚える努力をしても太刀打ちできないのだから、もっと別の、人間にしかできないことのためにこそ労力を使うべきだ、と。
 たいへんもっともな話に聞こえますが、では、人間にしかできない、価値の高いこと、とはどんなことでしょう。いろいろと考えてみれば結局、創造性ということ行き着きます。命令されるのではなく自分から新しく何かを生み出すことは機械にはできないはずですし、創造こそが大きな前身や革新をもたらします。しかし、それはどうしたら可能になるのでしょうか。実は、一つだけ確実な前提条件があって、それこそ、知識の豊かさなのです。ひとつ一つの事柄を端末に頼って検索しているような状態で何か画期的な考えが生まれてくることはありません。発想とか思考の展開という現象は、脳内の神経細胞ネットワークの瞬時の連続的な発火によって起こることがわかっています。知識、つまりネットワーク自体の乏しい脳からは豊かな新しい発想は生まれようがないのです。
 AIと共存して生きていかなければならない世代だからこそ、子どもたちには豊かな知識をもってほしいと思います。それは断片の詰め込みではなく、体系化された自在に発信できる知識であるべきでしょう。そのためにまず家庭でできることを考えますと、やはり読書と対話が鍵になりそうです。

 体系化した知識を構築できる読書力=読解力や、その知識を自在に引き出して人に伝えることができる発信力を養う、幼児期からの家庭環境=親の働きかけや読書指導のあり方などを常に考えている英語スクールです。大切なことをもっと話し合いましょう。ご相談だけでもお待ちしています。


02:34:59 | natalis | |
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