Archive for September 2009
01 September
<NATALIS Newsから> 変化の時代、我が子に求められる能力とは
日本の政治の歴史的な転換で9月を迎えました。巷間語られるように、戦後の日本の発展を支えてきた様々なシステムが既に時代遅れとなり、その疲弊と矛盾ばかりが噴出する近年でしたから、政治に変化を求める国民の選択も「当然」と受け取られています。
経済の面では、100年に一度と言われた世界同時危機がなんとか破滅的な局面にまでは至らずに回避されそうな見通しにはなってきましたが、まだ非常に不安定で何が起こっても不思議がない状態が続いていると考えられています。そして、今回の危機で鮮明になったのは、アメリカが単独の中心的な立場から滑り落ち、中国やインドに代表される新しい国々が台頭して、再び多極化の時代に入ったことです。食料や資源の争奪戦も激しくなり、日本からの視点で言えば、世界全体により細かく対応しなければならなくなっています。企業も新興国市場や環境などの新しいテーマに経営資源を集中させるところが一気に増えています。政治経済に限らず、1年2年という近い将来においても、世界で何が起きどのように動いていくのか、非常に見えにくい時代となってきたと言えるでしょう。
こんな時代に我が子に残してやるべきものは、確かな知性以外にありません。共通語としての英語の重要性もますます高まりますが、大切なのは何といっても粘り強く話し合いによって問題を解決していく力ということになるでしょう。武力ではなく交渉で物事を解決するためには、まず論理的能力や言葉での表現力と言うことになります。そして、これから特に必要になるのは、世界の様々な人々の間でのコミュニケーション能力ですから、深い洞察力があれば、日本的な「気配り」=相手への配慮の心が大きな武器になります。もちろん、相手の背景、歴史や最新データまでの豊かな知識に基づいてこその配慮です。
以前にもご紹介しましたが、当学院で教えてくれている大学生の講師は、東大・早慶で、海外経験があって英語がネイティヴ並の人たちです。そんな彼らでも就職活動を始めると厳しさを肌で感じているようです。それでも、「既存のマーケットよりは途上国で一からの仕事がしたい」「まったく新しい資源の開発に携わりたい」「国際公務員として国連か関連機関で働きたい」といった希望を持っている彼らは、企業や国が直面する課題の方向へ自ら向かおうとしていて、いわば時代の先をめざしている有為の人材です。自分の経験と知識から必然的に時代の要請を感じ取り、自然に自らの課題や目標とし、またそれができるべく努力している点が頼もしいところです。人柄まで知る者として、多少の苦労はあっても必ずや活躍の場が与えられるだろうことは断言できます。
我が子が社会にはばたこうとする時、どんな力を備えどんな意識をもった人になっていてほしいか、こんな時代だからこそしっかりと考えておきたいものです。