Archive for 01 September 2011

01 September

<Natalis News>より 半年、そして、10年。『参加する人間』を育てる意志を!

 今月11日には大震災から半年の節目を迎え、それはまた、あの9.11同時多発テロからちょうど10年目の日でもあります。この国では新たな内閣が発足しようとしていますが、相変わらず国としてどこに向かっていくのかという大きな
ヴィジョンが見えてきそうにはありません。被災地だけでなく国自体の復興への道程を示すことが待たれる時に、例によって国会もメディアもあえて問題を避けて眼前の些事に暮らしているようにさえ思われます。
 しかしながら、世界を見渡してみると困難な状況に喘いでいるのは日本だけではないようです。米国では、この10年、テロとの戦いとイラク戦争の負の遺産を背負い続け、グランドゼロは整備されても、オバマ政権はほとんど目立った成果は何もあげられまま次の選挙の話題が出始めています。EUではギリシャ以外にも経済破綻の火種はくすぶり続けていてイギリスの若者の暴動のような不安定さも見られますし、高速鉄道事故以後ますます内政の矛盾が露呈してきている中国や、リビアをはじめとした「ジャスミン革命」の連鎖が広がるイスラム地域など、まるで平穏な場所は地球上から失われてしまったかのようです。これは、(それぞれに個別の事情があるものの)米国が冷戦後の世界で唯一のスーパーパワーではなくなったことを決定づけたあの9.11以来の新たな変動の時代が世界の隅々にまで浸透してきたことの表れだと考えられます。ここに自然災害から異常気象や放射能までを加えれば、およそ黙示録のような暗澹たる世界絵図ができあがりそうです。
 ただ諸手を上げて現実を嘆き悲嘆にくれて見せようというのでは、もちろんありません。いつの世も現実は渾沌として危機に満ちており、未来は予測不能なものです。それが生きるということの実相であり、子どもたちに手渡たすことになる「この世界」そのものだということを、この10年、この半年を振り返って再確認しておきたいのです。そして同時に、我が子に対してこの困難な状況に挑む戦いに「加わらなければならない」のだと教える必要があることも。
 世界中の人が10年前のあの日のテレビが映し出した映像を覚えていることでしょう。私の場合も、あの嘘のように晴れ渡った青空を背景に何度か見上げたことのある白いビルが崩れ落ちる映像が、仕事も生活も全てをリセットするきっかけとなりました。人は人生において否応なく状況に巻き込まれる瞬間があるのかもしれません。どのような経緯であれ、人間世界の困難な戦いに志を持って参加することが大事だと思います。この半年、津波で全てを失った被災者の方々から、穏やかながらも強い意志をたたえた言葉を聞くたびに、そのことを思わずにはいられませんでした。
 人類と地球全体の情報が手に入る現代にあっては、個人の欲望の追求を越えた「世界への使命」を語ることは陳腐な偽善ではなく、知性の導く「あたり前」の帰結であるはずです。世界で今何が起こっているのか、何故それが起きるのかをもっともっと知るべきです。本当によく知れば、それは必ず行動に反映してきます。そのためには、最低限、英語と国語の読解力を鍛え、メディア・リテラシーを高めることが必要です。そして、もう一つ、歴史を徹底的に学び分析して次の行動に活かすという今のこの国の社会と教育の場で決定的に不足している学びの形も提言しておかねばなりません。近現代の生々しい歴史を事実に基づき正しく分析し議論するなかで教訓を学び取ることこそ、次への確かな一歩につながる作業です。そして、歴史を真に理解するところからのみ、本当の「参加」が始まると信じます。この変動の時代に背を向けて生きることは許されません。家庭内で小さいうちから歴史的なテーマについて深く話し合う習慣をもつことで、『参加する人間』が自然に育ってくることを期待したいと思います。 

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